ニッシム・ド・カモンド美術館

Musée Nissim de Camondo

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18世紀の美術品で埋めつくされた豪華絢爛な邸宅。アンティーク好きにはたまらない空間です!

ニッシム・ド・カモンド美術館入り口

ニッシム・ド・カモンド美術館入り口

こんにちは、パリナビです。今日は皆さんを18世紀のアンティークコレクションの世界へご案内しましょう。その場所とは、ニッシム・ド・カモンド美術館(Musée Nissim de Camondo)。トルコ系ユダヤ人の大富豪、モイーズ・ド・カモンド伯爵(1860-1935)が、自らの邸宅を美術館として公開し、その美術品のコレクションを展示している、言わば邸宅まるごと美術館になった場所です。ヴェルサイユのトリアノンをモデルにして建てられたこのお屋敷には18世紀の絵画や調度品がその空間を埋めつくしています。大富豪の邸宅というのも興味をそそられますね。では早速出かけてみましょう!

最愛の息子の名前を冠する美術館

屋敷の全景。早速入ってみましょう

屋敷の全景。早速入ってみましょう

モイーズ・ド・カモンドはイスタンブール生まれ。フランスの第二帝政の頃に銀行家であったモイーズの父はパリの8区、モンソー公園のすぐ裏手に居を構えます。父の後を継いだモイーズは、18世紀の美術品コレクションに熱を上げ、ついには屋敷を建て直して思い通りの空間を作り上げます。そして、別れた妻との間にできた息子ニッシムと娘のベアトリスと共に暮らします。
ところが屋敷が完成して間もない頃に第一次世界大戦が勃発。息子のニッシムは飛行士として戦場に向かい、空中戦にてその命を落とします。25歳の若さでした。モイーズ氏は悲しみのうちにもコレクションを続け、亡くなる前の1935年、息子への追悼の意味を込めて邸宅とコレクションの全てをフランス国家と現在の装飾美術館に寄与します。そして1936年にニッシム・ド・カモンド美術館が誕生しました。

サロン、書斎、そして食堂

この階段から1階へと上がります

この階段から1階へと上がります

中へ入るとクロークから大理石の階段が伸びています。ここから地上1階へと上っていきます。


1階は来客を迎えるサロンや書斎が並んでいます。まずは大書斎。樫の自然な風合いが印象的な部屋です。壁にはフォンテーヌの寓話をモチーフにしたタピが飾られ、マホガニーの折り畳み式テーブルや蓋つきの机が目を引きます。さりげなく置いてある燭台の台座はギリシャ風のブロンズ像と、細かいところを見始めたらきりがありません。細かい配置など、ここからすでに持ち主のこだわりを感じ始めます。
大書斎

大書斎

細かい仕事が光る調度品の数々 細かい仕事が光る調度品の数々 細かい仕事が光る調度品の数々

細かい仕事が光る調度品の数々

隣りは大広間。中庭に面したこの部屋は窓から明るい光が入り、白い壁に金の枠取りをした壁でがらりと雰囲気が変わります。暖炉の周りに配置された絵画や調度品はきっちりと計算されたシンメトリーになっています。その中央のテーブルに置いてあるのは、16世紀の日本の酒壺。ブロンズゴールドに漆塗という珍しいこの壺はあのポンパドゥール夫人が所有していたそうですよ。また、この部屋には「一日の幸せ」という名前の段つきテーブルがあります。これは樫にローズウッドを張ってブロンズゴールドで枠取りをしたところに、セーヴル焼の磁器が表面を飾るという何とも贅沢な品です。
大広間

大広間

真ん中に置いてあるのが16世紀日本の酒壺

真ん中に置いてあるのが16世紀日本の酒壺

セーヴル焼が目を引く机

セーヴル焼が目を引く机

お次は「ユエの間」。ユエというのは、この部屋が画家のジャン・バティスト・ユエの絵画を飾るためのもの、というシンプルな理由から。その通り壁には羊飼いの恋人同士を描くユエの作品が飾られています。ここでもローズウッド張りの蓋つき机や王室お抱え職人ブラール制作の屏風など、調度品も見逃すことができません。
ユエの間

ユエの間

ローズウッド張りの蓋つき机

ローズウッド張りの蓋つき机

さわやかなミントブルーが美しいソファ

さわやかなミントブルーが美しいソファ

食堂

食堂

さて、サロンに圧倒されたところで今度は食堂に入ります。柔らかく優しい緑色に塗られた壁がほっとする空間です。しかし見どころはその隣にある「磁器の間」。壁をぐるりと囲んだ棚の中にはセーヴル焼の食器がずらり!中でも「ビュフォンセット」と呼ばれるシリーズは、博物学者ビュフォンの「鳥の自然史」の挿絵をモチーフにしたもので、セーヴル焼の職人による緻密な仕事が光ります。モイーズ氏はこの部屋がお気に入りで、一人の時はここで食事をしたそうですよ。
1階にはさらに小書斎、食堂の裏にある準備室があります。
磁器の間のお皿コレクションは圧巻

磁器の間のお皿コレクションは圧巻

セーヴル焼の職人の腕が光ります セーヴル焼の職人の腕が光ります

セーヴル焼の職人の腕が光ります

では2階へと上がってみましょう。

寝室、風呂場、図書室

青の間

青の間

モイーズ氏の部屋

モイーズ氏の部屋

「青の間」と呼ばれる部屋はモイーズ氏の娘ベアトリスが使っていた部屋。娘夫婦と子供たちが独立した後、二つの部屋を一つにして、壁の色にちなんで「青の間」と名付けたものです。ここにはパリをテーマにした絵画が飾られています。
2階には息子のニッシムの部屋、そしてモイーズ氏の部屋もあります。興味深いのは部屋の隣にある風呂場。フランスでは20世紀初めごろではまだバスルームというものは個人宅ではあまり普及していませんでした。浴槽、洗面台、足湯、ビデはエナメル、蛇口はニッケル加工されていて、当時としては非常に斬新なものでした。機能的でシンプルなバスルームです。
2階にはさらに図書室があります。ロトンド型の丸い壁にぎっしり詰まった蔵書。モイーズ氏はここで美術品のカタログや美術評論・歴史本などを見ていたわけです。またこの部屋からはモンソー公園の景色も見えます。
ニッシムの部屋

ニッシムの部屋

シンプルかつ機能的なバスルーム

シンプルかつ機能的なバスルーム

図書室

図書室

向うに見えるのはモンソー公園

向うに見えるのはモンソー公園

台所、洗い場、使用人の食堂

地上階奥にある台所

地上階奥にある台所

左にあるお皿用エレベーターで食堂まで届けます

左にあるお皿用エレベーターで食堂まで届けます

では一番下まで降りて地上階の奥に進んでみます。ここには屋敷の台所があります。むしろ厨房と言った方がいいくらいの広いスペース。真ん中にはコンロ、壁際にはピカピカに光るフライパンや鍋の並んだ調理台、奥には水場、そして巨大なオーブンがどっしりと構えています。まるでレストランの厨房のように広くて機能的です。隣にはサービス長の小部屋があり、よくレストランで使われているお皿用のエレベーターがついています。これで出来上がった食事を先ほどの食堂のある1階へ届けるわけですね。
厨房の脇には洗い場が独立しています。そして厨房の小窓からは、使用人の食堂が見えます。屋敷にはおよそ12人から15人ほどの使用人がいたと言います。楕円形のかたちをした大きなテーブルのある簡素な食堂。ちなみに彼らの出入り口はもちろん玄関ではなく、反対側の勝手口です。他の場所ではあまり見られないこういった使用人の生活を垣間見られるのは貴重なことですね。
ピカピカのお鍋やフライパン

ピカピカのお鍋やフライパン

巨大オーブン。窯が3つついています

巨大オーブン。窯が3つついています

コンロもレトロで重厚な雰囲気を醸し出します

コンロもレトロで重厚な雰囲気を醸し出します

使用人の食事部屋

使用人の食事部屋

洗い場は独立しています

洗い場は独立しています


二階ではカモンド家に関する資料やビデオ上映もあります。息子のニッシムは飛行機で戦死しましたが、モイーズの娘のベアトリスは第二次大戦中、ナチスの収容所にて亡くなります。1945年のことでした。こうしてカモンド家は途絶えました。美術品の数々もさることながら、一時代を築いた家族の物語が後ろに流れていることも、その邸宅を見ることによって感じられます。人の住んでいた場所、という特別な雰囲気を味わえるのも邸宅の美術館ならではでしょう。ぜひ一度足を運んで欲しい素敵なスポットです。
以上、パリナビでした。




記事登録日:2019-04-10

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スポット登録日:2019-04-10