のどかな田園風景が広がるフランス中部、ベリー地方。ここにフランスを代表する女流作家、ジョルジュ・サンドが暮らした家があります。
こんにちは、パリナビです。今回はパリを抜け出して、フランスが誇る女流作家、ジョルジュ・サンドの家へ行ってみたいと思います。場所はフランス中央部に位置するベリー地方の、ノアン・ヴィック(Nohant-Vic)という小さな村。ジョルジュ・サンドはこのノアンにある邸宅で、子供時代から亡くなるまでのほとんどの時間を過ごしました。また、サンドと言えばショパンとの恋愛が有名ですが、ショパンが8年間にわたって夏を過ごし、多くの作曲をしたのもこのノアンのジョルジュ・サンドの家です。19世紀で唯一作家として自活できた女性であるサンドがこの家でどんな暮らしをしていたか、ガイドつき見学で垣間見ることができます。それでは早速行ってみましょう!
ノアンにあるジョルジュ・サンドの家
田園風景の広がるベリー地方
フランスらしい田園風景が広がります
ノアン・ヴィックはパリからおよそ300kmのところにあるフランス中部のアンドル県にあります。パリからのアクセスは、車の場合A10号道路を南下し、オルレアンでA71号へ、その後ヴィエルゾンでA20号へ進み、シャトールーでD943号道路をさらに南下します。また、シャトールーまではパリのオステルリッツ駅からアンテルシテ(Intercité)という電車があります。時間はおよそ2時間半。ここからはやはり車になります。シャトールーからノアン・ヴィックまでは車で約1時間。道路には案内板が出ているので見つけやすいと思います。パーキングもすぐ近くにあります。
フランス語のガイドがつきます
ではジョルジュ・サンドの家へ入ってみましょう。ここでは自由見学ではなく、グループになってガイドが案内する見学のみとなっています。チケットを買うと次回の見学時間を教えられますので、それまで庭を散策したりブティックを見たりして待ちます。
暮らしぶりの伝わる部屋
台所
大きなかまどはオーブン機能のほかお湯の保温も可能
見学コースは台所からスタート。中央に置かれたどっしりと大きな木のテーブルが目に着きます。これは使用人たちの食卓。まな板代わりにも使われていたようです。サンドは実用的な台所を好み、設備にも最先端のものを使わせていました。一度に4つのオーブンが使えて同時に熱いお湯を貯めておける焜炉や、使用人を呼ぶためのベルの装置など工夫が見られます。また、壁に掛かった鍋や、ショパンも好きだったというショコラ・ショーのポット、色んなマドレーヌ型などの調理器具もその当時の暮らしぶりを思わせるものばかりです。
隣りの部屋は食堂。ここでサンドは色んな客人を迎えました。テーブルにはこれから晩餐が始まりそうなセットがしてあります。サンドは非常に交友関係が広く、著名な芸術家や作家たちを屋敷に招待しました。フローベール、バルザック、アレクサンドル・デュマ・フィス、ドラクロワなどなど、そうそうたるメンバーです。中でもやはり忘れてはならないのがショパンでしょう。9年間にわたるサンドとの交際の間に、実に8回もの夏をショパンはこのノアンの屋敷で過ごします。そしてその作品のうちのほとんどをこのジョルジュ・サンドの家で作曲したといいます。サンドは夏が来るたびにショパンのために新しいピアノを買い替え、屋敷まで運ばせたそうです。すごい贅沢ですね。でも残念ながらショパンの使ったピアノは屋敷には残っていません。
様々なお客さんをもてなした食堂
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サンドの名札の隣にはフローベールの名前が
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肖像画で埋めつくされたサロン
食堂の隣はサロン。サロンと言うと低いテーブルにソファが置いてあるというイメージですが、サンドはあえてそうせず、食堂のように大きなテーブルを囲んで座るように椅子を配置しました。こうして皆が一緒に議論をしたりカードをしたりと時間を共有できるようにしていたそうです。このサロンにはサンドの家族の肖像画がかかっています。暖炉の上にかかっているシャルパンティエによるサンドの肖像画は、きっとみなさんも一度は目にしたことのある有名なものです。
母として、作家として
子どもたちの寝室。サンドは夜間隣の小部屋で仕事しました
次の部屋はサンドの2人の子供、モーリスとソランジュの子供部屋です。サンドは子供たちと一緒にいられるように、その隣の小部屋を自分の部屋がわりにしていました。昼は母、夜は作家という二足の草鞋に加え、屋敷の管理や客人を迎える支度など、サンドはとても忙しい日常を送っていました。ちなみにサンドの本名はオーロール・デュパンといいます。ジョルジュ・サンドという名前の由来は、夫と別居後パリで新聞記事を執筆していた時に、男性の名前でないと相手にされなかったからという経緯があります。当時の女性の地位は非常に低いものだったのですね。共同執筆をしていたジュール・サンドゥの名前をもじって、ジョルジュ・サンドという名前を使い、初めての作品「アンディアナ」を発表します。これはこの子供部屋の隣で書かれたものです。普通フランス語でジョルジュと書く場合、最後にSがつきますが、サンドの場合はつきません。それは英語風の綴りにする目的に加えて、Sを取ることで綴りに女性らしい雰囲気を出すためだったそうですよ。
人形劇のステージ、そして青の間
息子モーリスによる人形劇ステージ
さらに進むと、今度は劇場の間があります。サンドは自分の書いた芝居を招待した客自らに演じさせて楽しんでいました。そして、手作りのマリオネットが並んだ小さな人形劇のステージは、息子のモーリスが作ったもの。仕掛けや人形を作り自ら演じる息子のために、サンドは人形の衣装やカツラを作ってあげたそうです。お客さんは招待客のほか、ノアンの村人たちも集まって楽しんでいたとか。うーん、いい領主さんですね。
では二階へ上がります。ここで必ず見ておきたいのが「青の間」と呼ばれるサンドの寝室です。
青の間
この部屋を寝室として晩年を過ごしたサンドはこの青の間で息を引き取りました。壁から天蓋つきのベッドからカーテンまで同じ青のモチーフに統一された非常に美しい部屋です。
この後サンドの書斎、そして最後の持ち主だったサンドの孫オーロールのジャポニズムの部屋と回って見学は終了です。所要時間は約1時間。かなり充実した内容でした。
敷地内の庭園とジョルジュ・サンドの眠る墓地はコースには入っていないので自由に見学できます。庭園、菜園、散歩コースと色んな顔を持つ庭は整然として心地がよく、サンドがとても自然を愛したことを思わせます。そして庭のはずれに、サンドの家族が眠っている墓地があります。サンド自身のお墓もここにあります。
ヴィックにあるサン・マルタン教会も合わせて見学して下さい
ここでもう一つの観光情報。このノアンから約2km北へ進むと、12世紀のフレスコ画で有名なサン・マルタン教会があります。ジョルジュ・サンドの家を訪れたらぜひこちらにも寄ってみてください。
男装の作家というイメージが強いサンドですが、この家を見学すると、たくましい二児の母であり、愛情の深い母性的な女性という一面が浮かび上がってくるようです。また、ベリー地方の美しい田園風景は、なんとも牧歌的なのんびりとした雰囲気があり、フランスが農業国だということを思い出させてくれます。レンタカーを借りてフランスの田舎へ行ってみたい人にはお勧めの地方ですよ。
以上、パリナビでした。